カイロは米国の正規医療。もみほぐし治療はしない。医療と慰安は両立しない。

1回目 事実と観念

1回目 事実と観念

投稿日2011年4月20日投稿者: waichisato DC.→和漢構造論

今日、カイロプラクティックの世界ではクラック療法をカイロ治療だと思っている治療者はおおい。キャピテーションから考えればあきらかな間違いだ。

クラックは陰圧/高温を発生させる。音波で体内に発生した石を破壊するときと同じ原理になる。クラック療法をくりかえせば関節にエロージョン浸食がおき、カイロプラクティック病が発生することはあきらかだ。

事実としてカイロ治療は1895年のクラック治療にはじまってる。

○はなしは変わるが
研究発表の形式に1例報告がある。「1例においてこうなった」というのだ。2例目に責任はもってはいない。

私は背骨へのクラックによって「耳がきこえるようになった」実例は、1例報告とすべきではなかったのかと思う。

○理由としてエントロピーの概念を背骨に導入してみた。
中心構造が治療対象部になるのは、エントロピー的にはかなり低いことを意味する。しかしカイロ史にのこるはじめのADは、身体の構造力学的エントロピーを低下させることなしにそのまま背骨におこなっている。記録によれば「背骨の部分がもりあがっていた。そこをADした」といっている。*AD:カイロプラクティック・アジャストメント

○ではどのような条件のとき、背骨がはじめから治療対象部になるのか? 一つある。直接的外力を背骨にうけたとき。背骨が二次的影響以後で変化/変位したばあい、エントロピーの減少化なしには治療対象部は背骨上にくることはない。

つまり「背骨へのAD→耳が聞こえるようになった」は本来1例報告とするべきであったと考える。

○なぜ1例報告にこだわるのか
私には1例報告としなかったこが、その後のカイロプラクティック発展における事実と観念の混同につながったと思うからだ。「ガクー」とすれば身体がよくなるという観念を生んでしまった。

とう然「そんなことはない。ガクーでよくなった実例を自分はもっている」という主張もなりたつ。

ここが大切なのだ。
たとえば20年の臨床経験でどのくらいの数がよくなり、変化しなかったのはどのくらいあったのか。言いにくいはなしだが、悪化させた数はどのくらいあったのか。言いなおせば、カイロプラクティック病を発生させてしまった数のことだ。

学問は宗教とはちがう。できるだけ中立的立場にたってものを考えるべきだ。
事実の報告なら1例でも通用する。しかし「治療者」の思いの報告ならダメと判断するしかない。

医術は下に述べるような奇跡にちかい現実をきたいするのではなく、形而下学をおこなっているのだという認識がほしい。

○再度主張する
クラック「ガクー」という行為と、患者さんの身体がよくなることの関係性はうすい。

                    *   *

事実と観念を混同してはいけない。パーマー先生の場合、背骨を「ガクー」としてよくなった→過去の事実。背骨を「ガクー」とすれば良くなる→期待→観念。カイロプラクティックの世界に生きていると、しらずしらず事実と観念を混同しそうになる。*観念(的):具体的な事実から離れて、抽象的に頭の中だけの考えにかたよるようす―学研・現代新国語辞典より引用。

入口、DDパーマーのカイロプラクティック発見の動機となった話からはじめよう。「1895年———施術音とともに17年間耳の聞こえなかった男、ハーベーリラードの耳は聞こえるようになった」。カイロ史より。

10数年ほどまえになる、ある編集者とはなしをした。かれが言うには、パーマーの話をうたがう医師達もいるというのだ。おこりえないという理由からだ。

しかし我々はパーマーと似たような話を報道で二つは知っている。リサ・リードと元学校教師のことだ。
リサは頭を強く机に打ちつけた。元教師は山からころげ落ちた。どちらも途中失明ではあったが視力が回復した。カイロの話を否定した医師達なら何と言うのだろうか。「一方は嘘。一方は真実」?

現実的なはなしとして考えてみよう。二人と同じような条件をもつAさんが治療家であるあなたに相談にきた。「治るのなら私も二人の方法をためしてみたい」。

あなたはそんなAさんにむかって「よしためしてみろ」と言うだろうか。たぶん言わないだろう。机の方はそうとう痛かったという。山の方は命をうしなう危険もある。かりに痛くなく安全であったとしても、「そんな事で治るのかなー」という疑問がのこるのではないのか。私なら疑問がのこる。

偶然はないという哲学者もいる。二人におきたことは何千あるいは何万分の1の確率でありえることなのかもしれない。しかしその確率がAさんにもめぐってくるとはかぎらない。

もう一度カイロ発見の話にもどって考えてみよう。「ガクー」とすることによってパーマー先生の場合、患者さんが良くなった。⇒過去の事実。では「ガクー」とすれば患者さんは良くなるのか?

Aさんに対してリサ/先生とおなじ方法をしても難しいと考えたあなたならどう判断する。確かに人のおもいとしてはわかるだろう。ただ治療家としては事実と期待⇒観念を一緒にすることはさけなければならない。                               *       *
疑似問題として今度は私が臨床家である佐藤先生に質問をする。先生の言っていることは婉曲的に背骨への直接治療を否定しているように聞こえる。私は臨床家として背骨への治療で治癒させたいくつかの実例をもっている。これをどう考える?

私もQ先生に質問をしたい治癒した例は「良し」として、治癒しなかった例もお持ちだとおもう。一方は治癒。他方は治癒しなかった。二つを分けたものは何んだと考える。

答えとして有力候補になるのは
・治癒した例は「治療対象部が背骨上にあった」。
・治癒しなかった例では「治療対象部ば背骨上なかった」。問題は両者の違いをどう判断するのかにある⇒これからのブログの共通したテーマになる。
           *       *
TV「相棒」の決めセリフではないが最後に一つ。「ガクーという施術音はカイロでは重要だ。患者さんに治療しているのだというアピールができる。施術音をもっとよくだせ」。このようにスタッフに指導する院長もいるとのこと。カイロプラクティック治療と名のっている自分も同じように思われるのか。残念!2011年5月    佐藤和市DC.

a:657 t:2 y:0

コメント



認証コード3735

コメントは管理者の承認後に表示されます。

powered by Quick Homepage Maker 5.3
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional