カイロは米国の正規医療。もみほぐし治療はしない。医療と慰安は両立しない。

97回目 アジャストを考える

97回目 アジャストを考える

手技独特の考え方の1つに、手を道具化するというものがある。手技はそれしか方法がないともいえる。この出発点こそが、手技療法者に誤解にまねく土壌となっている。
道具の習得が、そのまま治療ができるという錯覚をみちびく。

例えば鍼灸師には鍼/灸という道具がある。漢方医には湯液がある。次は道具をどのように用いれば良いかを考えればよい。
・道具(鍼/灸/湯液)+観察(診断の意味を含む)+治療体系→治癒に向かわせる。

手技は違う。道具がない。いわゆる「カイロ・テクニック」というようなものを学ぶ必要がある。
・道具無し→手を道具化させる→技術を習得する+(――――――)→治癒に向かわせる。(――――――)この部分が手技にはない。

実は(――――――)の部分が手技の落とし穴になっている。手技の習得=治療で出来るという錯覚だ。

カイロ・技法を習得したことは、治療ができるということにはならない。鍼灸/湯液でいうとこの、道具を手にいれた段階にしかすぎない。

❖手技療法者も個々に色々な方法で、(―――――)の部分を補ってはいると思う。
方法はいくつかある。その選定法の1つに私が提案するのが、「事象の原理の把握」だ。

例えば手技療法者が良く用いる脚長測定。原理として2つのものの比較はできない。基準がないからだ。測定には基準となる3本目がいる。

また
非線形系の原理から、「全体は部分の集合より常に大きい」。部分である脚長から何かをもとめることはできない。

中には身体のどこかを触れ、結果として脚長が変化するかどうかを診る者がいる。
脚長変化を誘発した部位に、アジャストメント(=カイロ・治療の意味)をくわえるためだ。

本当に触れた位置以外に脚長を変化させる部位はないのだろうか?無いという確証のないまま、アジャストメントをする。

いまの手技療法は不思議なことがおおい。

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