16回目 「系-」について
16回目 「系-」について
治療の中に「系」という概念を導入した。「系」とはいまこの瞬間において表現化されている身体の構造/機能条件。この瞬間/今のものを第一番目という意味で「系‐1」と表現する。準じ「系-2------4-----→7---→」とつづく
いま「系-1」へ治療をおこなった。パーマー哲学に沿えば「系‐1」への治療で「本日の治療」は終結しなくてはならない。
実際には「系-1」は治療力をうけ、変調/変化をして収束する。5秒ほどで、次の「系」が現れる。身体の構造/機能条件としては2番目ということで「系‐2」と表現する。「系‐2」を治療/収束。5秒ほどで、「系‐3」が現れる。このような過程を何回となく繰り返かえす。
最終的に次の「系」が現れなくなった時点をもって、我々は「本日の治療」終結ということにする。とう然、治療後の評価が絶対基準法で合格した上でという条件はつく。
○メジャーとはどの治療対象部をさすのか?
・次の「系」に移行しなくなった治療対象部。言い換えれば終結にいたらしめた最後の
治療対象部をさす?
・では各「系-」を収束した治療対象部は何になるのか→マイナー?
もしマイナーだというのなら「系-」は収束しないで、反対に発散するはずだ。
・治療後の絶対基準法での評価にも合格はしない。
○各「系-」を収束させた治療対象部は何になのか?
・その「系-」におけるメジャーになる。パーマー哲学では一つということになっている。
・実際治療後に絶対基準法でしらべるとパーマー哲学のいうメジャーと、各「系-」にお
ける治療対象部とは質的におなじ意味をさしている。
○臨床から
・我々の身体は「系-」が何層にも重なっているようだ。重なる程度は個人/疾患によっ
て異なる。
・治療→重なる層を収束というカタチで一層ずつはがしていく。はがし終われば次の「系
-」は出現しない→終結する。
・「系-」一つ一つにメジャーが存在する。
我われは固定化された身体を診ているのではない。流動的なそしておそらく無限につながる流れの中でたまたま自分が診た世界を真実だと思い、その世界に治療というカタチで介入をしている。
時が進行すれば流れも進行する。とう然、診る世界もかわる。メジャーも変わる。
*収束/終結を同じ意味として使った。最後の収束だけを「最後の意味」をこめて終結と記した。
佐藤和市DC.