カイロは米国の正規医療。もみほぐし治療はしない。医療と慰安は両立しない。

3回目 先生の言い忘れた一言

3回目 先生の言い忘れた一言

投稿日2011年7月8日投稿者: waichisato DC.→和漢構造論
カイロ技法の習得と、「背骨に使う・使える」とは別もの。技法習得は一つの方法論にすぎない。    

カイロ学校では治療技法を教えるとき、受講中の学生からモデルをつのる。先生はその学生の背骨をつかって技法を教える。「背骨の動かし方はこう」。あるいは「何々技法はこう」。学生は納得をし、技法の習得にはげむ。どこの学校でもだいたいこんな感じだろう。

ここで先生は学生に言わなければならない大切なことがある。言いわすれると学生の将来を大いに誤らせることにもなりかねない。
・カイロ技法は背骨が疾患動因だという『前提』で教えたこと→事実ではなくあくまで「背 骨が治療対象部だという前提条件」で教えたこと。
・治療の場では背骨が治療対象部であるという保証はどこにもないこと。
・治療の場では各人がその場で、治すべき位置をさがさなくてはならないこと。
こういったことを学生に技法講義とセットにして教えなくてはならない。
言いかえれば「治療技法の習得」と、背骨に「使う/つかえる」は別ものということだ。

いま多くの先生がカイロ技法を教えている。もちろん治療を必要とする対象部の特定方法も一緒に教えているとおもう。
ただ治療対象部の特定はきわめてむずかしい。四肢/頭部等からの力学的負荷/影響を除かなければ背骨/背骨近接位に「真の治療対象部」は現れない→「メジャーを治療せよ。マイナーにはさわるな」パーマー哲学より。
また四肢/頭部等からの負荷/影響をのぞけばかならず背骨上に対象部が現れるというものでもない。

私は背骨治療の否定論者ではない。ただ学生のときこんな経験をした。
大学では治療対象となる背骨の条件を幾つか,レントゲン画像をまじえて教えている。いわゆるサブラクセーションの定義についてだ。

私は不思議におもった。画像上の変位/変化は背骨が悪いのだと断定したことについてだ。現実には「外力/内力にたいする脳の対応反応」の結果、背骨が変位/変化したものだとおもう。にもかかわらず背骨を原発巣primary lesion /出発点だと断定したのだ。

なぜ「背骨が悪い」と断定できたのか?断定の根拠になっているのが「哲学がそう述べている」というものだ。いきなり形而上学→観念の世界がでてくる——————————–。

あるとき私はクリニックで先生と軽い口論をした。先生に「講義でサブラクセーションの定義は習った。でもどこだとは 教わっていない。この患者さんでサブラクセーションはここだと教えてほしい」と頼んだからだ。*パーマー大学では「悪いところ=治療対象部をサブラクセーションと呼ぶ」。

先生は 「お前は哲学がわかっていない」といった。私は「その哲学でこの患者さんのどこがサブラクセーションかを示してほしいとさらに言った。
——————私は卒業 のために今は先生の意見を聞く」と答えた。その先生とはその後、時々クリニックであったが軽いあいさつ程度だった。

しばらくして私も卒業にこぎつけた。卒業式のあとだった。たまたまその先生にあった。彼は私にちかづき小声で、「実は私もサブラクセーションを見たことがない。お前は良いカイロプラクター になるだろう」と言ってくれた。はたして良いカイロプラクターになったことかどうか?
次回は「評価なき治療に進歩なし」。治療後の評価をしないカイロプラクターに進歩はない。治療後の評価によって背骨の本当の姿がみえてくる。
2011年7月 佐藤和市DC.

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